現役プロ社畜が解説する、社畜に刺さる戦国武将名言シリーズ。今回の言葉も現代の働く私たちに通ずるものがあるのではないでしょうか?コチラの言葉を取り上げたいと思います
※当ページは一部にプロモーションを含みます
松永久秀の名言「裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい」
今回の言葉は戦国三大梟雄とも呼ばれた松永久秀の言葉として遺されています
松永久秀の名言の意味
プロ社畜の解釈では
日ノ本一の正直者ゆえ義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい
なんともすごいパワーワードですね、仕事においてこのような言葉を使用する機会があるのでしょうか?今回はこの言葉の主、松永久秀を掘り下げてみたいと思います
松永久秀は何をした人か?その生涯を解説。
三好長慶・家臣時代
生まれは現在の大阪、奈良、四国と様々な説があるが定かではなく、細川家の被官三好長慶の書記として仕えたと言われています。長慶は細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々を京都より放逐し三好政権を樹立させ畿内の統一を図ります。
最盛期は13カ国に及ぶ大領国を形成しており、周辺当時の主要大名である今川氏は3カ国、甲斐武田氏は2カ国、出雲尼子氏は6カ国から見てもその領国の大きさを伺うことが出来ます。当時の政(まつりごと・行政)の中心は京であり、この地を治める人間が世を治めるといっても過言ではなく事実上、京は三好家が治めていました。
三好三人衆との争い
久秀は幕府将軍と三好家の間を仲介する役割としても活躍しており、長慶の被官として活躍することと同時に将軍・足利義輝の側近としても活躍をしております。この頃になると久秀は長慶より大和国の管理を任され、大名のような立場になっておりました。長慶が病没すると三好家は三好三人衆と阿波国三好家、そして久秀がその政を取り仕切るようになります。
長慶の死をきっかけに幕府政権の復帰を目指す将軍・義輝は、武田氏・上杉氏・朝倉氏に上洛を呼びかけるも三好三人衆によって暗殺されてしまいます(永禄の変)三人衆の次なる標的は久秀でした。
義輝暗殺により混乱が続く幕府は次の将軍・足利義昭を擁立させるため尾張を治めていた織田信長に上洛を促します、この際身三好家当主三好善継と久秀は織田方に降り、三好政権は崩壊に至ります。
織田信長と久秀
信長の上洛を手助けしたとして、信長と久秀の関係性は当初は同盟関係でした。浅井長政の裏切りで有名な金ケ崎の戦いでは敵方を調略し信長の窮地を救い、一方で茶人としての能力や幕府や周囲の大名へ顔の利く久秀を買っていました。その折り、甲斐の武田こと武田信玄が参加することで強大な第二次信長包囲網が始まります。自身の待遇に不満を持つ将軍・義昭は浅井・朝倉・三好・本願寺へ誼を通じるよう働きかけ、第二次信長包囲網が形成されます。この際、武田信玄が徳川領に侵攻し、将軍側と織田側の対立が鮮明になると同時に久秀は将軍側に付き信長に反旗を翻します。
しかし、この包囲網は信玄の病没とともに消滅してくのでした・・・
信玄の病没、義昭の敗北、義継の敗死と久秀の勝機は次々と消え失せ勝機はありません。信長に許しを請うべく多聞山城を差し出し、大和国大名から一城主の立場へと立場を落され信長の家来として従うこととなります。
久秀の裏切りと壮絶な最期
その後の織田軍は毛利・上杉との対決姿勢が鮮明になります。背景にあるのは将軍・義昭であり、第三次信長包囲網が形成されるのでした。これを好機とみた再び久秀は謀反を起します。信長は説得と和議を結ぶべく、堺の松井友閑を使者として久秀へ遣わしますが交渉は決裂。信長としては謀反の理由を聞きたいだけでしたが、久秀は聞く耳持たんと突っぱねます。幾度となる謀反の企てに信長の堪忍袋の尾が切れ、立てこもる信貴山城に信長は4万の兵で攻め込むのでした。この際も信長は久秀に茶器「古天明平蜘蛛」を差し出せば許すと交渉を持ちかけますが、久秀は聞き入れません。
その戦の中、天守から火が上がります。ここに三好家と松永久秀の天下の道は、完全に絶たれてしまうのでした。久秀68歳の事であり、この信貴山城の四層天守を信長は模して安土城を作ったとも言われております。
戦国ボンバーマンこと松永久秀
信貴山城の戦いにて久秀は平蜘蛛に爆薬を仕掛けて釜ごと爆死したとのエピソードが語られることもあります。実際にはそのような事実はなく俗説であったようです。久秀のエピソードには
- 将軍暗殺(殺害)事件
- 東大寺大仏殿放火
- 織田信長を3度も裏切る
などの暴れん坊の逸話が遺されています。島左近は関ヶ原の戦いの際に「最近の武将は思いきった行動1つも起こすことが出来ん。松永久秀ほどの勇敢な武将はいなくなってしまった。」とも口にしたとも言われています。魅力的な武将であったために、その勇姿は語り継がれていったのですね。
名言の使い方
社長に対して言ってやりましょう
辞めて欲しくなければ、給料でも上げたらどうですか?
この際には懐に退職届を忍ばせておきましょう。決裂の時には退職届をバチーンと叩きつけます!退職届が平蜘蛛にならないように祈ります・・・
まとめ
戦国随一の裏切り者・松永久秀を取り上げました。
久秀は裏切りの印象がある中、一方で忠義に厚いとも言われております。久秀が忠義を通したのは三好長慶に対してではないでしょうか?身分の低い自身を一大名までのし上げた長慶への忠義は揺るぎないものであり、好き放題の三好三人衆を見限り、その後義継の面倒を見ております。
裏切りに厳しい信長が久秀のことを2度も許し、3度目の裏切りもなんとか話を聞こうと交渉を重ねる程、その能力の高さと茶人としての目利き、築城の能力、交渉力など信長にも失うに惜しい人物であったとも考えられます。
今回の名言も裏切りの後に信長に対して発したとも言われているので、能力の高い者は交渉力も高く持てる様に思いますね・・・恐ろしいですけど
皆さんも交渉力を味方につけた強い社畜ライフを送りましょう!