坂本龍馬の名言にビジネスを学ぶ。我のなすことは我のみぞ知る。

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坂本龍馬とは

土佐藩郷士(下士)の家に生まれた坂本龍馬は、自身の志(こころざし)を基に、亀山社中・海援隊を結成し、後の明治維新に大きな影響を与えた人物としても知られています。

坂本龍馬の名言にビジネスを学ぶ

今回は龍馬の名言とともに、現代のビジネスに活用する志のあり方を解説していきましょう。

社畜モンキ
社畜モンキ

幕末の英雄である龍馬は現代でも人気の偉人です。土佐藩の身分の低い龍馬が、どうして新たな時代のリーダーになり得たのか?彼の名言からその姿勢を学んでみましょう。

坂本龍馬は何をした人か?

坂本龍馬は江戸幕府を終わらせるきっかけを作った人であるとも言えます。新たな時代の新たな取り組みの中の五箇条の御誓文、これは龍馬が起草した船中八策が原案であり、龍馬が多くの人との出会いや、自身の見聞の集大成であるとも言えます。

そんな坂本龍馬の生い立ちと、業績を紐解いてみましょう。

幕末の背景と坂本龍馬の生い立ち

龍馬は土佐藩郷士の家に生まれました。当時の土佐藩には上士・下士と呼ばれる武士の身分制度があり、坂本家は商家出身の裕福な家庭であったと言われております。子供のころから泣き虫であった龍馬は、姉の乙女(おとめ)と仲が良く、生涯に渡り手紙を書いています。

龍馬が志を持つ大きなきっかけは、江戸への剣術修行中に起こった、ペリーの来航であると言われています。黒船に乗ってやってきた異国人に興味を持った龍馬は、現代の歴史に残る多くのきっかけに関わっていくのです。

社畜モンキ
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龍馬が19歳の時に江戸へ剣術修行へ行かなければ、今日の坂本龍馬はいなかったと思います。志という覚悟を持った生き方の始まりであると言えるでしょう。

坂本龍馬が活躍した経緯と業績

当時の日本は江戸幕府が開かれていましたが、ペリーの来航により様々な思想が生まれ、列強各国の圧力により、もはや幕府の権力も形骸化していました。

龍馬もこのままでは日本は外国の言いなりになってしまうとの危機感を覚え、日本中を駆け回ります。一脱藩浪士であった龍馬がいかにして活躍したのか、その業績を考えてみましょう。

土佐勤王党と尊王攘夷

黒船の来航により攘夷の機運が高まる中、土佐藩では武市半平太を首班とする土佐勤王党が結成されます。彼ら尊王攘夷は武力行使である過激な攘夷思想であったために、参加していた龍馬は脱退します。

しかし、海外から日本を守る根柢の考え方では龍馬も攘夷派です。彼らとの出会いが、龍馬の攘夷論を鮮明にしていったとも言えます。

勝海舟との出会い

龍馬の人生に最も影響を与えた人物の1人が勝海舟です。勝海舟を暗殺するために向かった龍馬でしたが、勝に世界情勢と海軍の必要性を説かれ、その話をのめりこむように聞き入ります。勝の理想や思想に感銘を受けた龍馬はその場で弟子入りし、勝と行動を共にするようになります。

勝の手がける神戸海軍操練所の設立にも奔走し、世界が広がっていきます。

亀山社中の結成と薩長同盟

海軍操練所の塾生の不祥事により、操練所は幕府から廃止の沙汰が下ります。勝は塾生である龍馬らに薩摩を頼る様に言い渡し、その薩摩から援助を受ける形で日本初の株式会社「亀山社中」が誕生します。操練所で培った操船技術や海運術をもとにした商業活動を行うことが目的であると言われていますが、一方で犬猿の仲である薩摩と長州を結びつけたのも亀山社中です。

当時の長州は攘夷派の旗頭であり、幕府から朝敵とされていました。朝敵であるため孤立した長州藩と武力に秀でた薩摩を結びつけることで、幕府は手が出せなくなり、無血倒幕を目指した龍馬の攘夷を実現させようとしたのです。

いろは丸事件

その後、土佐藩の後ろだてを受けて海援隊を結成した龍馬らは、藩の仕事も請け負うようになります。その中で起きたのがいろは丸事件です。伊予国大洲藩より借り受けたいろは丸で最初の航海を行った際に、紀州和歌山藩の明光丸と衝突し沈没します。

この賠償交渉は双方の藩の重役が出席する、土佐藩と紀州藩の事件にまで発展しています。この際龍馬は万国公法を持ち込んでおり、銃や金塊も運んでいたと主張。7万両もの大金を賠償金として支払わせていますが、近年の海底調査により積載物の発見はされていないようです。

船中八策による新時代の起草

いろは丸事件後、京へ向かう後藤象二郎に同行する船中で、龍馬は新時代の草案を起草したと言われています。

  • 天下の政権を天皇に返上し、朝廷(天皇)より政令が出されること(大政奉還)
  • 上下2つの義局を設けて議員を設置し、議員の話し合いで決定すること(議会開設)
  • 公家や諸藩問わず有名・無名の人材たちでも優秀な人材を政治に参加させ、名ばかりの役職者を除外すること(官制改革)
  • 外交は、外国の情報を広く取り入れ意見を求めるうえで新たに規約を定めること(外交条約)
  • 昔からの法律を議論し、良いところを見極め、あらたに法律を定めること(憲法制定)
  • 海軍の拡張を行う事
  • 海外からの侵攻に備え朝廷のための兵を都に置くこと
  • 金や通貨など海外と平等に取引のできる法律を定めること

社畜モンキ
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土佐藩の身分の低い龍馬が時代を動かすほどの人間になれたのも多くの人の助力があったからこそです。その人を動かしたのは龍馬の情熱であり、変わらないに討たれてのことでしょう。

坂本龍馬の名言にビジネスを学ぶ

龍馬の生き様と名言からビジネルを学びましょう

世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る

世間の人は自分のことを笑うだろうけども、自分の達成したいことは自分だけがわかっていればいいのだ。

龍馬が口にすることはどれも理想論や絵空事のように聞こえたことでしょう。しかし、その理想を常に口にし、周囲に言い聞かすことで、次第に理想が目標へと変わっていき来ます。その目標が皆の目的となって成果に結びついていったことでしょう。

この名言から、龍馬は天性のリーダシップを持ち合わせていた人物のように思えますね。

社畜モンキ
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龍馬の人となりを表わす言葉のように思えますね。

時勢に応じて自分を変革しろ

変革はチャンスであり、チャンスを逃さないためにも、自身の見聞を広めることが重要である。

龍馬が初めて江戸に出向いたのは剣術の稽古でした。その後は海運術、交渉術と自分の武器をその場に応じて使い分けています。ビジネスにおいても、入社したなりは元気よく電話に出るや、報連相を意識付けるなども十分ですが、経験を重ねるにつれて意思決定などが問われます。

大切なことは、常日頃から自身に何が足りないのか、何のスキルを身に着けるべきなのかを自問し、勉強に勤しみ、チャンスを逃さないことです。

万事、見にゃわからん。

百聞は一見にしかず。見たからには行動に移すべし。

司馬遼太郎の竜馬がゆくに用いられたセリフです。龍馬の人となりが現れた一言でしょう。幕末という混沌とした中では多くの情報が錯綜します。その中でも自分の目にしたものを信じる姿勢が、周囲を説得できる行動となるのでしょう。現代のビジネスでも同様です。周囲の人間を納得させるためには、自身の目で見たものを信じ伝えることが重要です。憶測で人は動きません。

人よりも一尺高くから物事を見れば道は常に幾通りもある。

視点を高く物事を考えれば、やり方・方法はいくらでもある

物事を決まりきった見方をしてしまうと道筋を失ってしまいます。常にどうしたらよいのか、他の方法はないのか、と考え抜く中で活路を見出すことは、現代にも通ずる考え方であることでしょう。特にビジネスにおいても、ミス等を当事者は抱え込んでしまいます。物事に近くなってしまうと盲目的になるので、引いた目線で取り組むことも時には大切であると考えます。

業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ

自分の目標に対して真剣に・懸命に取り組む姿勢を示し悔いのないようにしたい

この言葉も司馬遼太郎の竜馬がゆくに用いられたセリフです。志半ばで果てることほど心残りはありません。一方で、悔いのないほど懸命に行ってる最中で果てることは本望であるともいえるでしょう。戦国武将武田信玄の言葉に「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」との言葉があります。

ビジネスにおいてもいいわけの無いように、一生懸命に取り組む姿勢が大切です。

まとめ

坂本龍馬のリーダーシップの要素や行動から学ぶことは、現代のビジネスシーンにおいても非常に有益です。龍馬のようなリーダーシップを発揮し、ビジネスの成功と社会への貢献を追求するためには、自己啓発と学び、チャレンジとリスクを受け入れる覚悟が必要です。

彼の思考や行動を参考にしながら、私たち自身がビジネスリーダーシップを発揮し、持続可能な成長と社会の変革に貢献し、自身の夢と目標を追い求め、ビジネスリーダーとしての道を切り拓く勇気を持つことを考えていきましょう。

それでは皆様、良い社畜ライフを☆

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