社畜で例える戦国武将

会社のために身を粉にして働いているのに同僚からドン引きされ、

家族からも無視される悲しい生き物社畜。

そんな社畜をポジティブに表現し戦国武将を例えに「できる人」からその生き様を学んでみましょう。

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仕事の鬼「鬼島津」

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主(後述)。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新と号したため、惟新公との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

信長の野望では放っておくと手に負えなくなる武将ベスト3に入る武勇名高い島津義弘。

義弘公の残した名言の中に「たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべしと思う」との言葉が有名です。

前進も後進もできない四面楚歌の状況で判断を迫られる際に、

小さな可能性が残っているのであれば可能性を探りつつピンチを切り抜けられる。

その生き様は現代の社畜道にも通ずるものがあるのではないでしょうか?

逆境で力を発揮できる人材は現代でも希少な人材として重宝されるのではないでしょうか?

突破力は大きな魅力の一つでスキルでもあるように思います。

四面楚歌に陥る前にまず上司に報連相ですけどね・・・

リーダーシップの鬼「鬼の権六・鬼柴田」

鬼の権六こと柴田勝家は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。

織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い天下統一事業に貢献した武将。

その最後は羽柴秀吉との覇権争いに敗れ自害する壮絶なもののでありながら

現代においてもその生き様にファンの多い武将の一人です。

一本槍な生き方はまさに漢の中の漢。柴田勝家は「浅井長政、朝倉義景との戦い」「伊勢長島の一向一揆討伐」「長篠の戦い」「越前一向一揆」などに参加しすばらしい戦果をあげております。

しかしその一本気で不器用な生き方は敵を作る事も多く

最終的には羽柴秀吉に攻め入られその生涯を終える事となります。

リーダーシップは現代においても重要であり、

社内の主要なポジションやプロジェクトで活躍できる人材ではないでしょうか?

最後は潔く腹を切るそんな男気あふれる上司になりたいものです。

社畜な策士「黒田官兵衛」

「大将たる人は、威厳というものがなくては、万人を押さえることができぬ。さりながら、悪く心得て、威張ってみせ、下を押さえ込もうとするのは、かえって大きな害である」

『黒田如水教諭』より。

あの豊臣秀吉に次の天下人と言わしめた黒田官兵衛は洗礼名はシメオン。

黒田孝高(くろだよしたか)よりも黒田如水(くろだじょすい)や黒田官兵衛の名の方が有名ですね。

豊臣秀吉に仕えていた時代は、外交・調略などで活躍し、関ヶ原の戦いでは東軍・徳川側につきました。

社畜にとって最も恐れるのは上司や経営者からの「嫉妬」です。

自身は懸命に尽くしているのにおまえの頭の中はわからん!と待遇をおとされ、

おとなしく蟄居しているとさっさと働け!と・・・

挙げ句の果てに、お酒の席ではおまえが怖いと言われる始末。

それでもめげずに忠誠を尽くす官兵衛とその子息長政は

福岡県のルーツに深く関わり現代まで名を残すのです。

社畜として散る「清水宗治」

「浮世をば 今こそ渡れ 武士もののふの 名を高松の 苔に残して」

清水宗治は毛利家家臣、備中高松城の城主としてその名が後生まで伝わる戦国武将です。

その散り様はあまりにも見事であり、敵将である羽柴秀吉に

「武士の鑑」とまで言わしめた忠義にあふれる武将です。

あなたのまわりに社で起きたクレーム処理をこなす

プロフェッショナルな上司、先輩はおられませんか?

その土下座に胸を打たれ涙があふれてくる・・・

そんな社畜としてのあり方が現代の様式美のように感じます。

まとめ

先人たちの生き方に学び今日の社畜としての生き方に華をもたせてはいがでしょうか?

ただし、いずれの場合も過度な働き方や忠誠を誓うことは

かえって身を滅ぼす事にもなり得ます。

これらの生き様やあり方が全く以て共感できない方は

ぜひ転職を視野に入れて動いてましょう。行動あるのみです。