現役プロ社畜が解説する、社畜に刺さる戦国武将名言シリーズ。今回の言葉も現代の働く私たちに通ずるものがあるのではないでしょうか?コチラの言葉を取り上げたいと思います
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豊臣秀吉の名言
今回の言葉は豊臣秀吉の言葉として遺されています
秀吉は過去にも名言として取り上げております
豊臣秀吉の名言の意味
プロ社畜の解釈
戦は人民・資源など多くのものを消耗してしまうもの。
戦わないで勝つ事が最も良い作戦である。
孫子の兵法にも「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」との教えがあります。調略や懐柔を得意としてきた秀吉ならではの言葉かと思います。
秀吉の政策
戦わずして勝つ。秀吉が行っていた政策にはどのようなものがあったのでしょうか
刀狩り
刀狩りは武士以外の身分のものから刀を取り上げ、身分制度を定着させる目的がありました。農民の身分を明確化し、一揆の防止などの目的もあったとされています。
太閤検地
当時は各地の領主がそれぞれ各々の升で年貢を図っていました。太閤検地は全国の農民の石高を統一された尺度のもと計測した制度であり、共通の升を用いることで年貢を効率的に徴収することが出来ました。
キリシタン迫害
秀吉は信長の政治を継承するかのようにキリシタンを奨励していましたが、九州平定の際に伴天連追放令によって普及を禁止するようになります。
秀吉の政策の基には兵農分離の考えが強く見ます。身分制度を強く進めることで、戦う気力や考えそのものを起こさせない、今回の名言にもある意味通ずる、絶対的な独裁者の発想があるのでしょう。
秀吉の組織図
秀吉はどのような組織形態を持ち合わせていたのでしょうか?
秀吉の組織には五大老と五奉行があり、合議制で政治を取り仕切る五大老。五奉行は秀吉の直属の部下として、政権の補佐をする役割を担っていました。
現代の会社組織で表すと、五大老は取締役、五奉行は執行役員の位置づけです。
この組織形態は後継者不足に悩み将来を案じた、秀吉の晩年になってのことです。各地の大大名を従えることで、自身の権力と幼い嫡男・秀頼の将来を五大老・五奉行に託すことになります。
ワンマン経営者がさんざん好き勝手した挙句、そろそろ危ないと年端もいかない孫(秀頼は息子)を後継者指名したような感じです。残されたものはこの会社やばくね?となりますよね?
五大老
豊臣政権下の大大名であり、顧問の役割。秀次切腹の後、不安定化した豊臣政権の安定を図るため、全国の諸大名や一般に発布された御掟の連名者です。
徳川家康・・・関東地方250万石
前田利家・・・加賀国など83万石
上杉景勝・・・東北地方120万石
毛利輝元・・・中国地方112万石
宇喜多秀家・・・ 山陽地方57万石
五奉行
豊臣政権下において司法、宗教、行政、土木、財政の実務を担う役割。秀吉直属の家臣で構成されており、政治の決めごとは五大老と五奉行の合議制で執り行うことと決められていました。
司法・・・浅野長政
宗教・・・前田玄以
行政・・・石田三成
土木・・・増田長盛
財政・・・長束正家
三中老
政治に参加し、五大老と五奉行の意見が合わないときに仲介する役割でした。
生駒親正・・・織田信長美濃攻め以降、秀吉の家臣となっております。讃岐国12万石
堀尾吉晴・・・信長尾張統一以来の秀吉の家臣であり、備中高松城攻めなどにも参加。遠江国12万石
中村 一氏・・・山崎の戦いなどで功績を得る。駿河国14万石
取次
豊臣政権下において、秀吉から各大名への連絡取り次ぎの役割。服属の促進や政策指導など秀吉の側近としての役割も期待されて今ました。
毛利氏に対する黒田官兵衛や北条・伊達に対しての徳川家康など、その状況下に合わせて任命されることが多かったようです。
御伽衆
秀吉のそばで雑談等の話し相手を努める役柄。元将軍義昭などかつての目上の者も多く、従えることで秀吉自身の権威を示すものでもあった。
- 織田有楽斎
- 織田常真(信雄)
- 昌山道休(足利義昭)
- 佐々成政
- 山名豊国 など
京都所司代
京都の治安維持や、朝廷・公家の身の回りの世話とその周辺の政治を執り行う職名。京を治めることは天下を治めることと同義であり、華のある役職でした。
参謀
軍の指揮官が用兵・作戦などの計画を立て、これを実行するにあたり、実効的に補佐をする役割。
黒田官兵衛は秀吉軍を実効的に支配しており、秀吉を天下人に押し上げた人物です
黒田官兵衛は秀吉の数々の戦に従軍し、数々の進言と後押しをした人物です。
天下取りのきっかけとなった中国大返しも官兵衛の進言と言われています。官兵衛は中国古典にも精通しており、前出した孫子の兵法なども熟知していたものと思われます。
秀吉亡き後は五奉行内での確執が表面化し、関ケ原の合戦につながっていきます。家康その秀吉の失敗を糧に、長期政権を確立していくこととなります。
名言の使い方
ビジネスの分野でも孫子の兵法は良く用いられます
ニッチな分野でトップを目指しましょう!戦わずして勝つです!
孫子の兵法にも「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」との教えがあります。調略や懐柔を得意としてきた秀吉ならではの言葉かと思います。
まとめ
今回は秀吉の「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。」を取り上げてみました。
現在のビジネスにおいて、孫子の兵法は重用されており、秀吉の「戦わずして勝つ」も官兵衛の考えや進言より得たのでしょう。
当初は、織田信長の部下であり自身の調略を以て身を上げていきましたが、次第に自身が権力を握る様になり、以後は戦わせない仕組みを周知・徹底させるようになります。そのワンマンぶりが結果的に自身の身を滅ぼしてしまったように感じます。
秀吉の人生を垣間見ることで、一つの名言でもステージによって意味合いが変わってくることに私たちは学ぶ必要があるのかもしれません。
それではみなさま良い社畜ライフを!