戦国武将名言からビジネスを勉強しよう。「齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり」

細川忠興の名言。

現役プロ社畜が解説する、社畜に刺さる戦国武将名言シリーズ。今回の言葉も現代の働く私たちに通ずるものがあるのではないでしょうか?コチラの言葉を取り上げたいと思います。

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細川忠興の名言

今回の言葉は利休七哲としても知られている、細川忠興の言葉として遺されています

細川忠興像(永青文庫蔵)

細川忠興の名言と言葉の意味

プロ社畜の解釈

若い頃は聞く耳持たずでも、人は年をとるにつれて

ようやく人の話を聞く余裕が生まれてくる

忠興は天下一気が短い人物であると家臣の書に記されております。

しかし、晩年はその角が取れて丸くなったと言われており、数多くの文化人や大名、公卿たちとの交流が盛んに行われていました。利休七哲として茶の文化に精通するにつれ自身が成してきた事に、かつての父親を重ね合わせていったのかも知れません。

社畜モンキ
社畜モンキ

忠興の父・細川幽斎は茶人・文化人として著名であったと言いますが、藤孝の名前の方がわかりやすいかも知れません。本能寺の変後に剃髪し、隠居しております。

細川忠興の生涯

幼少期から織田信長家臣時代

室町幕府13代将軍足利義輝に使える細川藤孝の長男として誕生しました。

義輝を襲うクーデター(永禄の変)が起きると、藤孝・明智光秀は尾張美濃国の織田信長を頼り、義昭を15代将軍に擁立します。しかし、信長・義昭の仲が悪くなると藤孝・光秀は信長に臣従し、この際、忠興は信長の息子・織田信忠に仕える事となります。

15歳で紀州征伐に加わると、藤孝・光秀らとともに信貴山上の戦いにて功績を挙げ、信長より直筆の感謝状を賜ります。忠興の名は元服時に信忠より賜ったものであり、光秀の三女ガラシャと婚姻する際には、信長からの仲介をうけており、信長親子からの信頼も相当なものでした。

本能寺の変

光秀により、本能寺の変で信長・信忠が討たれると父・藤孝は隠居し家督を譲ります。この弔意を表わした行いにより、光秀との内通を疑われることなく討伐を免れます。山崎の戦い以降は羽柴秀吉方に付き、丹後の制圧とともにその後の領有を許されることとなり、丹後平定を成し遂げることとなります。

豊臣政権と石田三成との確執

秀吉政権下では小牧・長久手の戦いにて功績を収め従四位下・侍従に叙任し、秀吉から羽柴姓を与えられ七将に数えられることとなります。

七将は秀吉の子飼い武将であり、秀吉がもっとも信頼する部下でありました。

  • 福島正則
  • 加藤清正
  • 池田輝政
  • 細川忠興
  • 浅野幸長
  • 加藤嘉明
  • 黒田長政

その後も七将は秀吉の主要な合戦に参加し功績を挙げ続けますが、秀吉が亡くなるとともに石田三成ら文治派との関係性が悪化し、豊臣家に暗雲が立ちこめます。その後、前田利家の死により両者の仲介を行うものがいなくなり、確執が深まるのでした・・・

七将は三成の屋敷を襲撃する計画を建て実行しますが、事前に計画を察知した三成は京都伏見城内の自身の屋敷へと逃げ込みます。この際三成は家康の屋敷に逃げ込んだとも言われておりますが、翌朝には七将が三成のいる伏見城を囲み対立の構図が深くなっていきます。この両者の仲介を行ったのが徳川家康であり、家康によって三成は隠居・失脚させられ、その後の関ヶ原の戦いに繋がっていくのでした。

関ヶ原の戦いと徳川政権

徳川家康からの「味方につけば丹後の隣国である但馬一国(10万石)を進ぜよう」という言を受け、忠興は東軍に与しました。この忠興の表明は他の豊臣恩顧の大名に影響を与えたと言われています。

忠興が家康の会津征伐に丹後から細川家の軍勢を引きつれて参加すると、石田三成らが家康討伐の兵を挙げ、大阪城内にいた忠興の妻ガラシャを襲撃します。人質となることを拒んだガラシャは命を落すことを選びます。しかしガラシャは、キリシタンとして自刃することが出来ない為、家老に自身を介錯させます。その家老もガラシャの遺体が残らぬよう、屋敷に火をつけ自刃します。

忠興はその後、関ヶ原の戦いにおいて黒田長政らと共に前線で、三成の本軍と戦い首級を136上げたとされています。

合戦以降は小倉藩初代藩となり、大坂夏の陣にも参陣、その後は三男の忠利に家督を譲り隠居します

自身は居城の八代城にて享年83にてこの世を去ります。臨終の際にも「戦場が恋しい」と、最期まで七将としての思いを残していたことでしょう。

名言の使い方

自身の環境が上がるにつれて、見えてくる環境も変わってきます。

若いうちはわからないもんだよ。わかる日がくるから慌てなくていいよ

社畜モンキ
社畜モンキ

社内の若い子の熱い想いを聞いていると、自身の昔を思いだしたりします。今では多様性を理解する等の難しい言葉を自分でも使いますが、結局は事の本質を理解できていないのかも知れませんね。

まとめ

今回は細川忠興の言葉を取り上げました。忠興もさることながら妻・細川ガラシャのエピソードが有名なのではないでしょうか?

自身がこの名言を口に出来るのはまだまだ先の事のように思いますが、年を重ねるにつれて、両親のありがたみを日々感じるようになりますね 。たまには周囲に感謝の言葉を口にしてみましょう。

それではみなさま、良い社畜ライフを!