人間は不遇になった時、初めて友情のなんたるかを知るものだ。前田利家の名言を解説します。

現役プロ社畜が解説する、社畜に刺さる戦国武将名言シリーズ。今回の言葉も現代の働く私たちに通ずるものがあるのではないでしょうか?コチラの言葉を取り上げたいと思います

※当ページは一部にプロモーションを含みます

前田利家の名言

今回の言葉は加賀百万石の祖「前田利家」の言葉として遺されています。

引用:Wikipedia 紙本著色 前田利家像 個人蔵

人間は不遇になった時、初めて友情のなんたるかを知るものだ。

前田利家の名言と言葉の意味

プロ社畜の解釈では

自身が本当に大変な時・困ったときに声を掛けて助けてくれる友達こそ大切にするべきだ

社畜モンキ
社畜モンキ

人というものは、逆境の時に離れていくものです。そんな時でも傍にいてくれる人を大切にしなければいけませんね。

大人になるにつれてこの言葉の重さを感じるようになりますね、この言葉の意味を利家の生涯から垣間見てみましょう。

利家の生涯・功績

出生

尾張国の生まれであり14歳の時に織田信長に仕官します。幼名期は犬千代、若い頃は喧嘩早く派手な格好をしたかぶき者としても知られていました。織田信長と信友の間に起こった萱津の戦いで初陣するとともに首を挙げる功を取り、前田又左衛門利家と名乗り、槍の名手でもあったため「槍の又左」と呼ばれるようになりました。

赤母衣衆(あかほろしゅう)

当時の信長は尾張統一の真っ最中であり、戦が絶えない時期でもありました。浮野の戦いの後には信長の親衛直営部隊である赤母衣衆の筆頭として活躍します。この頃にまつを正室として迎えますが、利家は大きな事件を起こしてしまいます。「笄斬り」(こうがいぎり)と呼ばれる事件であり、信長が可愛がっている茶坊主を切り捨ててしまうのでした。

この際、柴田勝家や森可成の取りなしにより、切腹こそは避けられたものの、浪人暮らしとなってしまうのでした。

社畜モンキ
社畜モンキ

今回の名言はこのときに遺されたと言われ、言葉の相手は後の豊臣秀吉こと木下秀吉です。双方はお互いを生涯の友とし、利家は秀吉の天下統一への立役者となります

浪人からの家督相続

浪人時代の利家は桶狭間の戦いに勝手に参戦し武功を挙げます、それでも帰参を認められない利家は美濃侵攻を図る森部の戦いへ参戦します。織田軍1500対斉藤軍6000のこの戦いは、斉藤義龍が病死した直後の戦であり、斉藤軍の士気が低い好機を逃さない信長の奇策でした。利家は首級を2つ挙げる大手柄を挙げ、信長に帰参を認められ加増も与えられますが、この戦も勝手に参戦したものでした。

その後兄の利久が病弱の為、信長の命により前田家の家督を利家が継ぐことになります。浅井氏・朝倉氏との金ヶ崎の戦いでは撤退する信長の警護を担当し、姉川、春日井堤、一乗谷、長篠の戦いと織田家の主要な戦に参戦し佐々成政等と大きな手柄を次々と挙げていくのでした。

能登国主から賤ヶ岳の戦い

その後は柴田勝家の与力となり北陸の一向一揆衆の弾圧や、信長の命により播磨平定にも参加します。順調に功を挙げていく利家は、信長の命により能登一国・七尾城主となります。しかし、その翌年に本能寺の変が起こり、信長亡き後の織田家の家督争いに利家は苦しみます。自身の将である柴田勝家生涯の友を誓った羽柴秀吉が争ってしまうのでした。

この際、勝家の与力であった利家は、秀吉の元へ和議交渉に向かいますが、この交渉は決裂します。双方が直接交わる戦となった賤ヶ岳の戦いにて、柴田側として利家は参戦するものの、柴田側の利家は戦線を放棄する動きを見せ撤退します。

敗走する勝家は居城の北之庄城へ逃れる途中、利家の元を訪れます。この際勝家は湯漬けを所望したとも言われこの勝家との別れ以後、利家は秀吉方に付くのでした。戦後利家は秀吉より、加賀国を加増され存在感をより大きく占めしていきます。

豊臣秀吉の天下統一

秀吉が織田家を手中に納める小牧・長久手の戦いでは、徳川方に呼応された佐々成政が能登国に侵攻しますが、利家はこれを撃退し尾張の秀吉軍の士気向上にも努めます。戦後は北陸地域を納めることと各国諸大名のまとめ役としてその地位を確固たるものとするのでした。

北条鎮圧の小田原征伐では北陸軍の総指揮として活躍し、伊達政宗上洛のまとめ役にも打って出ます

この頃から後の五大老としての存在感も示されているのかと思います。

秀吉亡き後

秀吉亡き後は五大老の1人として秀頼のお守り役であり実質的な大阪城主となりますが、秀吉が残した五大老・五奉行の間で雲行きが怪しくなります。利家が病没すると徳川家康は、この大老・奉行を含め世を二分する関ヶ原の戦いへと世を進めていくのでした・・・

名言の使い方

残業の時にいただいたエナジードリンクが沁みました。恩に着ます。

社畜モンキ
社畜モンキ

自分が仕事で本当に困っている時に無償で文句も言わずに助けてくれた同僚はいませんか?その方こそ生涯の友と呼べる仲でしょう!大切になさってください!

まとめ

今回は加賀百万石の祖「前田利家」の言葉を取り上げました。大河ドラマ利家とまつでも人気であった利家が、もう少し長生きできれば家康も思い通りに出来ず、今と異なった歴史があったのかも知れません。

しかし、歴史にもしも・・・はなく、最も称えられるのは嫡男の利長です。利家亡き後加賀討伐を企てる家康の計らいを、自身の母であるまつ(芳春院)を人質として差し出す事で未然に防ぎ、江戸時代に至る加賀百万石の繁栄を築き上げます。

その繁栄の礎は利家と秀吉の友情であり、今回の名言の至る所でもあります

それではみなさま、名言を胸に良い社畜ライフを!