現役プロ社畜が解説する、社畜に刺さる戦国武将名言シリーズ。今回の言葉も現代の働く私たちに通ずるものがあるのではないでしょうか?コチラの言葉を取り上げたいと思います。
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戦国武将・織田信長の名言
今回取り上げた言葉は戦国時代の英雄「織田信長」の言葉として遺っております。
過去にも取り上げた織田信長ですが、他にも様々な名言を遺しております
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織田信長の名言の意味
プロ社畜の解釈では
眠ったように過ごしてきた数年より、充実した1日の方が満足感は高くありませんか?
金は命より重い・・・このくだりにも同じ意味合いを感じます。懸命に働くわけでもなく、半ば眠った様な意識で日々を繰り返す、カイジの利根川さんから勉強しました
織田信長の組織図
戦国最強と言われる織田軍の家臣団・組織図を考えてみましょう
織田信忠
織田家嫡男・織田信忠は生前に当主を譲り受け織田政権の2代目として認められましたが、本能寺の変において二条御所内で自刃します
信忠の元には林秀貞・森長可など有力な武将を従えた一部隊を有し、武田・播磨・甲州征伐と大きな成果を上げ家臣どもが皆認める、後継者たる働きを努めていました
旗頭武将・北陸方面軍 「柴田 勝家」
鬼柴田とも呼ばれた織田家随一の武将でもあります
勝家の与力として前田利家、佐々成政、金森長近、不和光治など武功に秀でた者が多くおりました。
これらの戦力を持って長年一揆持ちであった加賀国の制圧と北陸上杉軍との対峙するのでした
旗頭武将・大坂方面軍 「佐久間 信盛」
信長の幼少期より重臣として仕え、桶狭間・姉川など主要な戦に参戦しますが、一乗谷の戦いの直前に信長に直訴したことに対し怒りを買い、以降は冷遇されていました
極めつけは19ヶ条の折檻状とも言える信長からのキツいお叱り状を受け、高野山への追放となってしまいます・・・
方面軍時代は畿内での発言権は大きく、犬猿の仲である松永久秀と筒井順慶の間を取り持ったとも言われております
社長から直にFAXで19個もダメ出しを受けると再起不能に陥りそうです・・・
旗頭武将・近畿管領軍 「明智 光秀」
出身は美濃国・斉藤道三に仕え、道三死去後は越前で浪人生活を送りその後、足利義昭に仕えた後に信長の家臣となります
比叡山の焼き討ちや長篠・越前一向一揆・丹波攻略と織田家の主要な戦に参加しており功績を残します。その与力には細川藤孝、筒井順慶など畿内の有力者も多く、織田家における朝廷の対応も担っていたと言われております
織田家に仕える際に、 義昭へ「先の見込みがない」とお暇を願い出たそうですが・・・皆さんは同じように社長へ退職届を叩きつけられますか?すごい話ですね
旗頭武将・中国方面軍 「羽柴 秀吉」
当初は今川家に仕えるものの、信長に仕官し以降は奇策や制作で頭角を現わし中国攻めの総大将として播磨平定・但馬・毛利家との戦に挑む。その中で本能寺の変が起きるのでした・・・
秀吉の部下には蜂須賀正勝、竹中半兵衛、黒田官兵衛と戦略家が多く、知略に秀でた隊であると言えるでしょう。備中高松城の水攻めなどが有名です
旗頭武将・関東管領軍 「滝川 一益」
清洲同盟において交渉役を担ったとあり、信長の古参家臣であると言えます
長島一向一揆や甲州征伐の功労者となり以降は、信濃や上野衆を配下に置き対北条氏へと進軍するのでした。その折り本能寺の変が起き、命からがら清洲へと戻るのでした
清洲会議に一益が間に合っていたとしたなら・・・歴史は変わっていたのかも知れませんね
旗頭武将・四国方面軍 「神戸 信孝 (織田 信孝) 」
伊勢神戸家へ養子入りをした信長の三男です
信長と長宗我部元親の関係性の悪化から四国攻めを決意し、信孝を総大将に任命します
14,000の兵とともに丹羽長秀が副将として付き、蜂谷頼隆や鉄甲船・兵糧・馬・金銀とその活躍に期待していたと言えるのではないのでしょうか
しかし、出港の当日に本能寺の変が起き状況が一変するのでした
信孝の兵は寄せ集めの兵であり、本能寺の変の知らせを聞いた兵の多くは逃げ出してしまい、以降は秀吉のなすがままとなってしまうのでした
この兵の脆さも秀吉は計算の上で動いていたのかも知れません、その秀吉の背後には官兵衛・・・恐るべし
旗本
旗本武将・馬廻り衆・小姓・弓衆など戦場における信長の直属(本陣)の兵
吏僚
京都所司代・堺代官・奉行衆など役人や官僚職のこと
名言の使い方
勤務態度の悪い部下への教育に使いたいものです
必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。あなたは必死に頑張っていますか?
この一言で改心してもらえれば・・・と思いますが、夢中になって仕事を楽しむ気持ちがどこかで芽生えてくれれば嬉しいです
まとめ
今回は信長の名言とともに信長軍団の組織図を考えてみました
最強とも言われる信長軍ですが、何よりも信長のマネジメント力が最も優れていたのではないでしょうか?
上杉の武力には武力である柴田軍を、攻略が難航している播磨・中国には秀吉と半兵衛を、息子に錦を掲げたい信孝には四国を、クセのある強者の揃いの信濃・上野には滝川を向かわせています
適材適所を見極めるのが人員配置であり、信長は人を見極める事に長けていた人物であると垣間見えます
ご自身の組織もこの信長組織図に当てはめてみると、現在のご自身のお立場が見えてくるかも知れませんね
ではみなさま、良い社畜ライフを送りましょう!